読書日記と日々のあれこれ

読んだ本の記録と紹介です。たまに映画も。

心穏やかにいられるように 

期末の忙しさによる焦りや苛立ちを少しでも穏やかにしたくて、私にしては珍しくイラスト多めのエッセイを読むことにした。

面白いかどうか、正直なところ半信半疑で期待していなかったのだけれど、意外なことに面白い。心理学的にとても的確なことが書かれているような気がする。

専門家じゃないからよくわからないけれど。

何よりイラストがすごくきれい。色がきれいで、見ていてホッとするような柔らかなLライン。それとイラストに添えられている文字も優しい雰囲気の字体で、ホッとする。

韓国語版欲しい。

月末と期末が重なっているから、とにかく慌ただしい。やるべきことはたくさんある。

今週1週間は忙しいと覚悟を決めていたものの、月曜からけっこう遅くなってしまってすでに疲労している。

家の中も、乱雑だし、もう何にもしたくないから皿洗いは明日に回した。

そんな自分のだらしなさに、ますます気分が落ち着かず、あまり良い出だしとは言えない。明日はもう少し、早く帰れますように。

 

今週の予定 

やりたいことも、やらなくてはならないことも、やっておいた方が良いこともたまりすぎていて、すべてを先延ばしにしているせいで、いつもイライラとして落ち着かない。

慣れない土地で、慣れない環境の中、慣れない人たちと会うことにも疲れが出てきているのだと思う。そのうえ、ちょっと愚痴を言って発散する場も、相手もいない。

こんなことには、夫ほど役に立たない存在はない気がする。

何でもそうだけれど、考えてみれば、私は計画をきっちり立ててそれに沿って行動するのが好きだったし、その方がうまくできる。子どものころ、私はいつもスケジュールを立てて、着る服も一週間分あらかじめ考えて、メモしていた。

結婚してから、時間がなくて、あまりやらなくなっていた。

私のペースが大きく崩れているのは、そのせいかもしれない。

それに加えて、計画を立てても実行できないことに疲れてしまうせいで、計画を立てることを躊躇う気持ちも大きくなってきた。

今週は、月末月初の業務で特に忙しい。何もできないかもしれないけれど、そのことで落ち込まないように、いらだたないように。月末月初が過ぎたら、一日休めばよい。

この年になって、いまいちど、自分という人間を見直してみると、色んなことに気づく。自分が「なりたかった」理想の人間と、実際の私との差をちゃんと認識して、自分がより楽に生きる術を見出す必要がある。

理想を持つことは大事だけれど、あまりに自分を偽ると、そのツケが大きい。本当の自分自身を隠したり胡麻化したりして、無理するのではなくて、自分の持っているものでできることをできる形でやっていけるようにしたい。ようやくそう思うようになった。

 

今週読む予定の本

1ほっといて欲しいけど。ひとりはいや。(CCCメディアハウス ダンシングスネイル・著 生田美保・訳

2もう死んでいる十二人の女たちと(白水社 パク・ソルメ・著 斎藤真理子・訳)

3死の叙事伝(クオン 金恵順・著 吉川凪・訳)

十戒・主の祈り:教皇講話脩(ペトロ文庫 教皇フランシスコ)

5キリストにならいて 

 

今週やること

1古本の買い取り予約

2古着の寄付先を探す

3友達に返す本を送る

4お礼のはがきを2通送る

5送別のプレゼントを買う

相変わらずの日々

生きているうちに「パンデミック」が起こるとは、あまり想像していなかった。

小説の中で、あるいは映画の中で、過去の歴史の中で起こっていることであって、

自分の人生や生活にこんな風にこんな出来事が起こるなんて。

「過去にあったことは、これからも起こりうる」という言葉を学生時代に聞いて、

そのことをいつも頭の片隅に置いてあるつもりだったのに、パンデミックの最中に

あって驚いている。

幸いにも、まだ感染していないし、身内や友人からもそういう話は聞いていない。

けれども、どこかで起こっていること、ではなくて、いつ私の身に起きてもおかしくないこと、油断できない状況なのだという意識は持っていなければならないし、

自分にできる予防策は常に取っておかなければ。

家族や友人に会えない日々が続いている。不満がたまることもあるし、知らず知らずのうちに、ストレスを感じて疲れている日もある。

身内のいない土地で、友人もいなくて、いざというとき頼れる人がほとんどいないのは

何となく不安だけれど、海外から来ている友人たちを見ていたら、私の不満なんて

何とでもなる小さなことだと思わされる。

まだしばらく、この状況が続くだろうけど、こうして日記なんかをつけて、将来見返せるようにしておこうかなと急に思った。

うまく書こうとか、だれかに見てもらおうとか、そういうんじゃなくて、いつか自分で見るために。

中華民国 賢人支配の善政主義 再読

 

学生時代、レポートのために読んだ新書を三度目の再読。

ユン・チアンの『ワイルド・スワン』『西太后』、パールバックの『大地』など、中国を描いたものを読むたびに、その広大さや歴史、政治的な複雑さに強く関心を惹かれる。

 

中国近代化の過程でどのような政治的変遷があったのか、あの広大な国を治めていくにあたりどのような政治的思想があったのか。

初めて読んだのは大学一年の頃だったも思う。予備知識のないまま(むしろこれを予備知識とするための課題本だったのだろう)読み、レポートを書き上げた。

中国で起こったことのひとつひとつは、世界中のどこかで起こったことでもあり、起こっていることでもある。

 

けれども、中国ではそれらが短い期間に次から次へと目まぐるしく起こって、まさに「激動」の時代というにふさわしい勢いで国が変わっていく印象だ。

 

前に読んだとき、後半力尽きたので、今回は時間をかけてもしっかり読んでおこうと思う。

 

 

武漢日記を読みながら3

とうとう封鎖解除が目の前、というところまで来た。新規感染者ゼロ。

そこにたどり着くまで長い時間がかかった。

2ヶ月に亘る封鎖期間。

多くの人たちが先の見えないこの期間をじっと自宅で耐え続けた。

 

正しい情報を得ることが、いかに大切であるか、正しい情報を見抜くことがいかに重要か。

 

私たちも、今年の2月以降たくさんの新型コロナ関連のニュースを見聞きし、読み、人から話を聞き、多かれ少なかれ振り回されてきた。何が信じて良い情報なのか、誰が信じて良い情報提供者なのか。今目にした情報は、どう読み解けばいいのか。

 

今、日本も第三波の最中。経済的な観点から、政府は緊急事態宣言を出したがらないだろうけど、私たちはここから先、かなり気を付けて過ごさなければならない。

このウィルスはわからないことが未だに多すぎるし、薬がない。これだけははっきりしている。正しく恐れなければ。楽観視してはいけない。